おはようございます。
ちょっと夜更かししたので眠いですが朝のニュースを見てふと思いました。
寝ぼけながらニュースを見たので認識が間違っているかもしれないのですが、アメリカでの住宅購入が伸びているらしく、それでアメリカでの株価が上がり、それに連動して日本の株価も上がったとか。日本の偉いひとが”株価は景気の象徴みたいなもんだから喜ばしい”みたいなことをおっしゃっていました。それで”経済=株価次第”なんて図式が思い浮かびました。それと同時に無性にばかばかしいなと思いました。株式会社で働いている自分の立場は置いておいて。
株式会社の利点というのは資金調達面だとよく耳にします。株式を発行しそれを買ってもらい、その資金を元手に事業をすすめ、事業が成功したら株式を買ってくれたひと(株主/出資者)に恩返しとして配当金などをお返しするという、きれいな言い方をしてみれば持ちつ持たれつの図式。しかし、事業がうまく行かなければ株主/出資者は金出し損。株式会社は事業が失敗すれば経営状況は少なくとも良くはならないだろうし、株主/出資者からは非難囂々で悪いことばかりだと思います。あくまで成功すれば良い結果になりますが、失敗すれば悪い結果になるという株式は合理的と思えなくはないけれど、不確定なリスクがあるということは確か。そこから株式会社の社会的責任や社会貢献の具合に注目されているのでしょうか。
世界で大企業と冠がつく会社で、僕は株式会社以外の会社形態を知りません。そもそも、有限会社に関しては日本ではもう会社の形態を廃止されているし、合弁・合資・合同会社に置いては少なくとも僕の目に写ることはほとんどないのです。つまり世界経済の大部分は株式会社で成り立っていると言い切れるのではないかと思います。
しかし、結局、会社というのはひとの集まりです。個人経営をされているかたもいらっしゃると思いますが、個人経営で社員はたとえ自分ひとりだったとしても取引先がいなければ会社は存続できないのです。会社というのは自社の社員だけでなく取引会社の方々もいるからこそ成り立っていると思うのです。
ひとは文明を切り開き、技術を発達させ、経済社会を作り上げました。(僕が生まれずっと前から現在に至る図式が本当はできていたんだと感じます。)個々の集まりが社会を構築したのにその社会の陰で辛酸を舐めるひとも多く存在し、世界の不平等さというのは人伝の表層の話だけでも十分知り得ることができます。
社会、というか、世界経済というのは今の株式を中心とした状態が本当に正解だったのか、とも思えます。お金はひとを狂わせるといいますが、ひとを狂わせるお金という概念を作り広めたのもひと。社会はひとの集まりで構成されているのに、社会はひとを狂わせる。
人類は自分たちで作り上げたもので苦しんでいる。100年に1度のとか、未曾有の世界不況とか、結局はひとが原因なんだよね。でも、きっと社会を悪くしようと思って生きているひとなんてほとんどいないと思うんです。ただ、ひとは文明を切り開いてしまったことで未来へ向かう方向性を広げ過ぎてしまい、自分を見失ってしまっているのではないだろうか。見失ったひとたちで構成されているのが今の社会であれば、今ある”世界の現状”は仕方がないことなのだろうと思います。
野生動物が自然の中で必要な分だけ食事をとり、繁殖し、または息絶えて行く。それだけで本当は良かったのでしょう。それとも”野生・自然=社会”という認識ではなく、”野生・自然”が社会になったからこそ今ある結果、もしくは現状が目の前を覆っているのでしょうか。
とか、書いてたら昼過ぎちゃった。
眠くて風呂に入らず寝ちゃったからとりあえずシャワー浴びよ。
こういうのはチラシの裏に書くべきですよね。わかっています。
※5月9日23時過ぎに一部修正。
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